教会報「聖鐘」巻頭言(2022年11月)


収穫感謝とは

 

牧師 司祭 バルナバ 大野 清夫

 

収穫感謝祭の起源は、1620年9月6日にイギリスの清教徒と呼ばれる102名のクリスチャンたちが、メイフラワー号に乗って大西洋に船出したことにさかのぼると言われています。彼らが、北アメリカのプリマスに上陸したのは11月の寒い日、最初の木小屋が建ったのが、ちょうどクリスマスの日だったそうです。

 

異郷の地で迎える冬は厳しく、食べる物も着る物もほとんどなかったとのこと。彼らは農耕のすべも知らず、飢えと寒さと病気で半数が死んだそうです。そのことを知った原住民が彼らに種子を与え農耕を教えたとのこと。彼らは収穫を得て、教会で、家庭で感謝の祈りを献げました。それは「小さな種子の芽を育て、太陽を輝かし、雨を降らせ、成長させて豊かな実りをお与え下さった神に感謝します。」という祈りだったそうです。そして、友だちになった原住民を招いて、小麦とトウモロコシでパンとケーキをつくり、七面鳥を焼いてパーティーを開いたそうです。それが11月に感謝祭を開いた最初とのこと。

 

その後240年余り経って、リンカーン大統領が、11月の第4木曜日を感謝の日(国の祝日)と決めました。アメリカではこの日に果実や木の実を料理し、開拓の労苦と神の恵みを思い起こす感謝の日としたそうです。

 

感謝とは、幸福のみならず苦難をも与えられた人間が、そのすべての現実を神から与えられたものとして受け止めて、前へ向かって歩み出す心の動きです。

 

文明を誇っていたであろう清教徒は原住民に助けられました。原住民スー族が古来より献げていた夕暮れの祈りには、清教徒らを助けた心象風景が示されています。その一部をご紹介します。

 

あなただけが 神よ 私を見ておられます

あなたは私をあらゆる道において守られます

どんな暗闇にも あらゆる苦難の折にも

あなたはわが主 あなたは山や谷の主

 

あなたは 今日私が語ったことを 知っておられます

それが正しかったか悪かったかを

言いたりなかったか 言いすぎたかを 知っておられます

しかし あなたは 私にたいして あらゆる我が過ちをおゆるしくださるのです